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2007年4月19日 (木)

ウチ目均考(29)~モデレートな不安

☆ IT(情報工学)革命とは何だったのだろうかと,改めて考えている。おぼろげながら思いつくことは,力の構造が変わってきたということだ。ここで言う「力」とは,権力とかそういった「社会的な力」の有りようと考えて良い。権力の根源は,何かしらの強制力の行使にあるのだが,バカなあたしなりに人類の歴史を振り返って感じるのは,権力は基本的に集中する性質を持っているということだ。これは動物の「なわばり」のような有限のもので,権力とは,その「なわばり」の中で強制力を行使できることやその「正当性」を指している。

☆ 次に権力を担保する要素を考えてみると,ひとつは正統性,これは王権や中国の「易姓革命」を考えてみると理解できる。次は権威。これはアニミズム以降の全段階において,宗教とその聖職者が自明のものとして獲得してきたものだ。だから非宗教的(世俗)の環境で,これに似たような権力の行使(多くの場合「権力闘争」となる)が行われると「伏魔殿」などと書かれて攻撃の対象となる。権威主義はあらゆる怠惰の原因であり,モラル・ハザードの起点にある。なぜならユーリッヒ・フロムが指摘したように,権威(主義)は,その客体から自立(自律)を奪い,帰属(帰依)によって「支配」する方策であるからだ。

☆ このような権力の性格は,最初に述べた強制力の担保と権威主義に代表される「情報の独占(寡占)」を,その基盤とする。ITが破壊するものは専ら後者であるが,それを逆手に取れば,権力・権威を強化する手段(ツール)としてITほど有効に働くものはない。このことは中国におけるグーグルの活動(より正確には「グーグルにおける中国政府の活動」)を見れば明快であろう。

☆ ITの特性を考える。基本的には処理速度の向上であり,WWWに代表される情報のフラット化ということにある。言い換えるとこれは「力」が「速度」と出会ったことになる。世界のある場所で起こった事柄が伝達する速度が増せば,その影響は広くなる一方,「効率的市場仮説」でいうように,その影響は薄まる可能性がある。つまり「どこのどいつがしでかしたことか分からない」ことが世界中に影響を与えるおそれと,それがその情報の拡散の速さに反比例して,影響力を失うこととの両立である。各国市場における「モデレート」という状態の本質は,たぶんこのあたりにあるのだろう。

☆ 最近の日経で興味深いのは,こうしたヴァーチャルな世界と現実世界との関わりに焦点を当てた特集を組んでいることだ。今朝見た日経の記事「ネットと文明 第10部 主従逆転4」(日本経済新聞 第43557号 2007年4月18日 第1面)でもそういうことを指摘していた。特に興味を引いたのは,ヴァーチャル・リアルティ(仮想現実)が現実を決定するという指摘だ。勿論記事にそのようなことは書いていない。しかしここ数日ネット口コミで消費行動が決まるとか,(パソコンの拡大された画面に比較して)北斎の版画が小さかったといった実例を通して言えることは,存外そんなことではないのかと感じる。

☆ 仮想のものは現実を補助する。(実例が最近他国で発生しているが)時として妄想を助長する。これが仮想現実の最大の副作用である。神は細部に宿るはずなのに,粒子の向こう側を「神」だと思い込む事が起こっている。こうして人間はようやっと獲得したはずの「自律(=自立)」を放棄し,画面に表示された権威に易々と帰属してしまう。そこにあるのは芥川龍之介が「漠然タル不安」と言ったものの先を行く「生温い(モデレート)不安」である。

☆ まったく関係ない記事同士だが,そういう目をもって同じ日の「大機小機」を読むと興味深い(同紙 第17(マーケット総合2)面)。「未知なる危機への不安」と題された「逗子」という署名者の指摘は,偶然にもこのようなヴァーチャル・リアリティがITによってマーケット自体を覆い尽くし,その「膜」によって緩和されたモデレートなヴォラティリティが,より一層の心理的な不安を引き寄せていることについて指摘している。

☆ 確かにIT革命により「力」は「速度」を得た。また仮想現実はシミュレーションとして現実を受け止める時の緩衝器となっている(前回指摘した)。だが,速度を持つ力は「加速度」を持ちはしないか?今,無邪気に上昇する上海総合指数を見ながら,そして自国通貨安(対円・対人民元を除く)の中で達成するダウ工業株30種の新値の記事は,モデレートな仮想空間の中で「現実への想像力」を自ら放棄する過程を指し示してはないだろうか?

☆ 堺屋太一がかつて書いたように,これはいつか「破断界」を迎えるのではないかと思う。ITはその試練に耐え,より強度を増していくだろうが,そのITを創り出し,無邪気に使用し,怠惰に享受している「生身の人間」達が,そのとき,実際のものとして襲ってくる試練に耐えられるのかどうかは,極めて心許ないとしか言いようがないように思う。

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2007年4月 7日 (土)

楽天市場のビジネスモデルの限界について

☆ 楽天市場のビジネスモデルに限界が見えてきた。かつて集客のツールだった楽天ポイントが逆にユーザーの不満の原因になりつつある。それはポイントと個別ショップの育成との混同に遠因があるが,基本的には拡大成長を続けてきた楽天市場のビジネスモデルに量的な限界が見えてきたからという感じがしないでもない。

☆ かつて楽天市場は,ユーザーの望む商品をよりやすく提供する場所であり,リアルショップであれば限界があった出店者に商圏の拡大を約束した理想的なモデルであった。仮想商店街というコンセプトは確かにネット先進国からの輸入であったかもしれないが,コンビニエンス・ストアがそうであったように,小うるさい日本の消費者を捉える仕組みとして独自の成長を見た。Web2.0以降,楽天は旧来のウエブビジネスモデルに分類されるが,強いて言えばウエブビジネスモデルの先頭を切って成功したのが楽天であるとも解釈できる。

☆ そこでは,誤発注を含めた瑕疵担保責任を少なくとも最初の段階では出店者と購入客の双方が分かち合うシステムになっていた。例えば初期の楽天ブックスでは,購入の意思表示の返信メールに,キャンセルについての決まりが書かれており,万が一誤発注をした場合でも注文が確定するまでの間(だいたい6時間程度ではなかっただろうか?)のキャンセルは有効とされていた。こうして購入者は発注確認時に再度自分の注文を確認し,出店者は誤発注によるトラブルを回避する手段を同時に得ることとなった。これは,同時履行の原則からは甘いことかもしれないが,逆に言えばクーリング・オフの機会を与えるという点で非常に優れた仕組みでもあった。

☆ しかし,そのような「牧歌的」な時代は,楽天の膨張と共に過去のものと成り果てたようだ。今では楽天が送ってくるスパム的な案内メールをうっかりクリックしようものなら,翌日からはそのメールをよく読んでなければ気付きもしないような小さな文字で(さすがに色は変えてそれなりに「強調」はしているのだが)書かれた無数のショップからの文字通り「売り込みメール」が大量に流されることになる。楽天側にも一応は考えがあるようで,登録ショップの一覧表なる画面にアクセスして,解除すればこれらの「売り込みメール」を回避することはできる。そんな面倒臭いことが嫌であれば,そもそも「楽天スーパーポイント」なるものを使わなければ良い。つまり楽天にとってポイントとは「使ってもらえなくても構わない販促ツール」のようなものになってしまったようだ。

☆ これは残念なことのように思える。それはまるで,金を使わせるために怪しげなサクラが気をそそるようなメールをたっぷり仕込んでくるどこぞの「出逢い系サイトビジネスモデル」とそっくりだ。いつから楽天はこんな凡庸な仮想商店街に堕してしまったのか。東京放送なんか手に入れても,最近の同局の体たらくを見る限り,カネを溝(どぶ)に捨てるようなものにしか思えないのだが,そんなに三木谷は「力と栄光」が欲しいのだろうか?

☆ もうひとつ。あたしが見聞きした中で最低な話を紹介する。楽天はかつてフリーマーケットと称してオークションをやっていたが,ヤフー!やモバオクに刺激されたのか,自分の所も「オークション」を名乗るようになった(こんな話は楽天ではゴロゴロしていて,かつて「楽天日記」だったものが「楽天ブログ」に名前が変わっている。よほど「世の中で流行っている名前にあわせる」のが好きな会社と思える)。その「楽天オークション」には入札しただけで「楽天スーパーポイント」が貰えるという有難いオークションがある。良く考えれば分かるが,入札をすれば入札者が楽天に登録した内容は出品者(個人ではなく,あくまで「楽天市場」に出店しているショップ」である)に届くことになる(個人情報の全部ではないだろうが)。

☆ その話では,1円オークションに入札して数週間後に突然「出品者(=楽天のショップ)」から「商品発送のお知らせ」が届いたというのである。「落札者」は慌てて「該当のオークションのページ」を開くと確かに自分の入札記録が載っている。入札したのは事実だが,落札の通知も何もなかったという。不審に思った「落札者」は楽天市場に問い合わせをしたが,しばらくしてから落札者の一覧にあると木で鼻を括ったような返事が届いたという。その頃「出品者」から代引きで送られた「落札商品」は何も知らない「落札者の家族」によって引き取られていたとか。。。

☆ この話を聞いて,あたしは楽天市場の利用は止めた方が良さそうだと思った。どうも個人情報がしっかり管理されていないように思えたからだ。あたしは別に楽天や楽天市場を貶めるつもりはない。ただ,個人的にはこの電子商取引の利用は「強く推奨しない」と思っただけのことだ。

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2007年4月 3日 (火)

ウチ目均考(28)~買収ファンドについて

日本経済新聞第43541号(2007年4月3日=火=)第17(投資財務2)面

 「一目均衡」=買収ファンドの社会的意義 (編集委員 小平龍四郎)


☆ 一読して「公正な議論」だと思う。あたしはある種のファンドは解体屋だと書いたが,ドイツ人にも同じ考え方をする人達がいるようで非常に心強く思う(笑)。ここでの問題は先日まで放送していた「ハゲタカ」のように,会社におけるステークホルダー間の利害対立がベースになっている。

☆ あらゆるファンドは,その性格上パフォーマンスを上げることを求められており,ファンドへの投資者がそれをどの程度のスパンで達成することを求めているかでそのファンドの性格が決まる。ただ多くの場合,ファンドマネージャーは株価指数をベンチマークとしてそれに対する相対リターンをコミットメントし,その上でファンド自身の絶対リターンを追求することになる。

☆ これに対し会社そのものへの出資者は,こうした短期リターンではなく,Going Concern(会社自身の継続性)により長期的なリターンを積み上げることで,長期に亘る安定的な投資成果を得ることを期待する。そのような出資者が株主の立場で経営者に期待することは,継続的かつ発展的な成長であり,その成長の果実である配当や時価総額の向上だ。

☆ 時価総額で企業価値を測ろうとする考え方は,ITバブルやライブドア問題で否定された訳ではなく,三角合併をキー・ワードとする買収時代に入り,ますます重要になっている。買収ファンドでもその成果を定量的に測定するという意味で時価総額の持つ意味は大きくなっているだろう。


=以下続く=

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