« 秋霜烈日2 | トップページ | 様々なる人々(6) »

2006年6月 4日 (日)

様々なる人々(5)

☆ さて,おばちゃん達が手っ取り早く頼りにする人達が都合良く店頭にいる。こういう人達は,陰で相場名人と呼ばれていた。名人は迷人に通じるとだけ書いておけば実情は容易に理解できるだろう(爆)。というのは,相場名人はいかなるファンダメンタルもテクニカルも関係なく,ひたすらトレンドフォローならぬ地場筋フォローを行う典型的な目先筋であるからだ。 従って,相場名人にとっての情報とは(証券会社の)市場部が兜町の地場筋の動きと称してファックスで送りつけるマーケットノイズのことに他ならない。もちろんマーケットノイズの全てがガセということはない。大抵はその日の朝刊に載っているような話だ。

☆ ベタ記事というのがある。見出しも一行という小さな記事だ。ベタ記事の効用は是銀さんこと是川銀蔵氏が別子(=住友金属鉱山)の菱刈鉱山の記事を見つけて80年代に残る大相場をやった(その経緯は是銀さんと同郷の作家津本陽氏の『最後の相場師』に詳しい)。

☆ また,日本工業新聞(現在のフジサンケイビジネスアイ )のようなあまり手に入らない新聞に掲載された情報というのも珍重された。これは効率的市場仮説 の裏側のようなもので,情報の理論的な伝播速度と実際のそれとの間に歪みがあるから,その裁定で取引ができるということ。言い換えれば早耳で買って,後からついて来る者に売りつけるということである。

☆ 手に入らない新聞と言えば昭和40年代の証券不況時に山一證券(当時)が日銀特融(第一回目)を受けるきっかけとなったのは西日本新聞 の報道だったが,当時の東京では地方紙を売るスタンドは数えるほどしかなく,若手が兜町から渋谷辺りまで走らされた(勿論都バスや地下鉄に乗って)という有名なエピソードもある。また,中部経済新聞 というこれも有名なブロック経済紙があるが,バブル崩壊の頃,名証を代表するハイテク銘柄の一つ富士機械製造 に関するこの新聞の記事が原因で小さな売りパニックが起きたことがある。このようにインターネット全盛の前の時代には,情報の流通は相場にとって死活問題となることが,まま起こったものだ。

☆ さて,そんな具合で相場名人は早耳情報兜町(シマ)の噂を好むのだが,玉石混交にしたところで何せ情報の量が多すぎる。結局は多すぎる情報に埋もれて右往左往するのが相場名人迷人たる所以でもあるのだ。そしておばちゃんギャラリーがそれに輪をかけてしまうのだから,確かに証券会社の店頭に居座って投資行動をするのは傍目に見える格好ほど合理的ではないのである。

(続く)

|

« 秋霜烈日2 | トップページ | 様々なる人々(6) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/108615/2060486

この記事へのトラックバック一覧です: 様々なる人々(5):

« 秋霜烈日2 | トップページ | 様々なる人々(6) »