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2006年5月29日 (月)

なぜ私は,テレビの占いコーナーが嫌いなのか?

☆ 私は,めざましテレビのカウントダウン占いを筆頭に,今日の運勢の類が大嫌い。特に朝は絶対に見たくない。それには理由がある。

☆ 相場というものと向き合っていると,どうしても自分独りの力ではどうにもならないことに出会う機会が少なくない。先週の下げ局面もそうなのだが,新興工業国への投資が長い目で見て失敗ではないだろうと考えても,先週のような下げ局面では,どうしてもロスカットに引っかかってしまう。ここで売って後悔するのと売らずにそのままにして後悔するのを天秤ばかりにかけた結果,売ることを選択した。その結果は既に書いたように底値で売っている。

☆ こういう時,誰かの何かに縋(すが)りたいという気持ちが出て来ない方がおかしい。おかしくはないが,そこまでの自信家はあまり多くは見かけない(先週の「カンブリア宮殿」に出ていたワタミの渡邉社長などはその例外の一人であろうが)。やはり何かに縋りたくなるものなのだ。

☆ テクニカルを否定する人達がいる。彼等から見れば,テクニカルという投資仕法は終わったものを追いかけているだけで,いわば「逃げ水の分析」に過ぎない。そんな中の一人はこのような川柳を後世に遺した。「罫線屋 線を引き引き 足を出し」。足を出すとは要するに損をすることで,評論家は相場に勝てないというのと同じ類のキョーレツな一撃である。

☆ しかし,そういう人達もまた勘違いをしている。相場が示す個々の銘柄の値段が本当に乱数表のような不規則性でその時点の評価価値の全てを実現しているとしたら,この川柳は有効なものとなる。が,投資には最も大事な要素がひとつある。それは投資主体=投資家=つまり「人」である。

☆ 行動経済学が有効な学問となる理由は,経済の主体である人間に焦点を当てた経済学。言い換えれば広義の社会科学である経済学と人文科学である心理学との学際にある学問であるからだ。この時,テクニカルを用いる意味が決定的に変わる。テクニカルに現れるのは,単純な株価という数値のふれではなく,その数値を生み出した投資家という人間達の心理の揺らぎであるからだ。

☆ さて,そのような投資家が相場に向き合う時,自分以外に頼れるものがないとすれば,果たしてどのような行動に出るだろう。ひとつは今話した。過去や現在の心理を分析することで,この後の相場参加者の心理がどのように変化していくのかをテクニカルで捉えようとする。もうひとつは,投資対象に対して徹底的に客観的なアプローチで迫るファンダメンタルであり,残ったものが理性外の何かに身を委ねることだ。つまり占いである。

☆ 占いが全く無意味かというとそれも正確には違うと思う。占いの中にはリズムや波動を重視するものがあり,これは人間の本性に合っていると思うからだ。人間は母親の羊水の中で育ち,自らの体内も8割近くが水である。水の持つリズムは,人間の波動の中に刻み込まれており,占いの中にはそういうものを理解した上で分析しようとするものがあるからである。

☆ しかし,そのこととめざましテレビのカウントダウン占いのようなものは本質的に異なる。占いは実際は極めて個的なものであり,一般化・普遍化するに伴いその有効性(魔力かもしれない)は失われていく。祈祷師がテレビの画面で何かやっていて霊験あらたかに感じる人はさほど多くはないだろう。そうであれば,テレビラジオ新聞ネットの占いは,単に今日一日の標語を示しているだけに過ぎない。そんなものでこれから相場に向かう自分を鼓舞したり,あるいは失望させたりされて良い訳がない。

☆ だから,私はテレビに代表される「日替わり占いコーナー」が大嫌いなのである。

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