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2006年5月31日 (水)

様々なる人々(2)

☆ 今の相場と20年前の相場で何が一番違うのかといえば,ITだろう。確かに2000年前後のITバブル相場は,直接間接に数多くの個人投資家や投資家達のバーチャルな集団を痛めつけ,傷つけた。この欄で日本経済新聞の不祥事(インサイダー取引疑惑)をしつこく糾弾しているのは,その時に起こった,とある事件が発端であり,いずれ詳しく所見を交え述べたいと思う。が,名の通りの情報技術は明らかに投資スタイルを一変させた。投資に対する心理的障壁をずいぶんと低くしてしまったのである。その意味でITとは,まごうことなき大革命だった。

☆ さて,20年前にはモトローラが肩掛けの移動体通信を実用化したが,それはまるでSONYのデンスケのような姿形であった(デンスケというのは1970年代に活躍したセミプロ以上用の携帯型(でも大型^^;)テープレコーダーのこと)。せいぜい自動車電話用のアンテナを立てた車(そのアンテナの数十パーセントは明らかにパチもんだったが--;)が移動体通信の主のような顔をして走り回っていた。

☆ 外出した営業マンへの手軽な連絡方法であるポケットベルのサービスも始まったばかりで,ビジネスユースでは,もの凄い勢いで広がっていった。これがパーソナルユースに使われ成功したことが,携帯電話ビジネスに繋がっていく。。。そういえばこれも余談だが「ポケットモンスター」というゲームは,こういうポケット型の遊具(ゲーム・ウォッチからゲームボーイ,そしてDSに繋がって行く)をイメージしたキャラクターゲームだった筈だ。まだビジネス用のパソコンといえばPC98だったし,ワークステーション5550の時代だったのだ。

☆ 要するに情報の伝達経路が今と比べると極端に少なかったのが,当時の実情だった。電話は最大の武器であり,80年代末のバブルを支えたのは,電話線による音声通話だった。そして電話やファックスで山ほど情報をやり取りできない,そんな特権のない個人投資家達が毎日,店頭に寄ってきたのである。

☆ 店頭に良く来ていたタイプの投資家について前回少し書いたが,だいたいこんなプロファイリングが出来たと思う。

(1) 60代前後の相場好き,相場一代,相場名人(迷人)の類

(2) 40代以降のおばちゃん投資家

(3) 30~50代中心の一匹狼型投資家

(4) 普通の人々(投信・るいとうのお客様)

☆ (1)と(2)がグループになるのは,火を見るより明らか。というよりもおばちゃんで一匹狼という人には残念ながら,今まで遭ったことがない。そういう人は店頭には来ないのだろう。そして,店頭を華やかかつ珍妙にしてくれるのは,これも期待通りにこの人達なのである。

(つづく)

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2006年5月30日 (火)

様々なる人々(1)

☆ 今日からしばらく,自分が出会ったり見てきた人の話を書いていく。

☆ まだバブル崩壊前後の話で,今の証券会社の店頭からは思いも寄らない事かもしれない。

☆ 昨日「占い」のことを書いた時にも触れたが,人間とは面白いもので「自分だけしか信じられない」と常々思っていても,いざ相場に片足をつっこむと,肝心の自分をなかなか信じられないものらしい。確かに相場というものは,毎日答え合わせを強制的に行うテストのようなものだから,勝ち続けるのは至難の業だし,よしんば勝ったところで最終の帳尻が合うかどうかは誰も分からない。ある意味「無間地獄」のようなものですらある。

☆ 毎日,証券会社の店頭にたむろする人々がいる。その理由はいうまでもなく相場があるからなのだが(笑),毎日毎日顔を合わせていると通勤電車で乗り合わせる客に似て来るのか,何となく他人という気がしなくなってくるものらしい。こうやって気がつくと幾つかのグループが店頭を占拠するようになっていく。同じような光景は,例えば図書館なんかでも見られるのだが,場所の取り合い,椅子の取り合いなどという些細なことから始まって,好き嫌いが生じるものらしい。そういえばかつて19世紀前半のロンドン証券取引所にはN.M.ロスチャイルドの「常駐場所」というのがあったらしいし,似たようなことは明治以降の特に東証を筆頭とするあちこちの取引所でも見られたという。場所取りは陣取りに通じるから,それこそ「今日の占い」みたいなものかもしれない。いつもと違う場所では,ゲンが悪いのである。

☆ また反面,一匹狼のような投資家も少なからずいる。この人達に妙に共通しているのは,やたら店頭に滞在したがらない(=さっきの人達と正反対)ということだ。自分のポジションを知られたくない(そういうグループの中には必ず一人は「訊きたがり,知りたがり」のオバちゃんがいるので^^;)ということもあるが,むしろそうした「ミスター・マーケット(バフェットの造語=市場の「ノイズ」)」に自分の判断を狂わされたくないからだろう。思うにネットトレードの恩恵を一番に享受したのは,このタイプの人達だったろう。

☆ さて,そんな感じで両極端の相場好きもしくはセミプロがいて,たまに中期国債ファンドを定期預金代わりに預けるようなタイプの人が来店するのがごくフツーの証券会社の店頭だった。店内には営業マンがいて場中は顧客に電話をして相場のことを話しているか,なにがしかの注文を取っているのか取って貰おうと粘っているのかしている。で,注文が取れれば専用端末に走って注文を通し,また電話するということで,傍目に見ても忙しそうなのが,店頭である。一方で80年代以降フロントレディが一気に増えたこともあり,そのセクション周りだけは銀行の窓口とあまりイメージ的に違わないという姿だったのが,当時の話だ。

(つづく)

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2006年5月29日 (月)

なぜ私は,テレビの占いコーナーが嫌いなのか?

☆ 私は,めざましテレビのカウントダウン占いを筆頭に,今日の運勢の類が大嫌い。特に朝は絶対に見たくない。それには理由がある。

☆ 相場というものと向き合っていると,どうしても自分独りの力ではどうにもならないことに出会う機会が少なくない。先週の下げ局面もそうなのだが,新興工業国への投資が長い目で見て失敗ではないだろうと考えても,先週のような下げ局面では,どうしてもロスカットに引っかかってしまう。ここで売って後悔するのと売らずにそのままにして後悔するのを天秤ばかりにかけた結果,売ることを選択した。その結果は既に書いたように底値で売っている。

☆ こういう時,誰かの何かに縋(すが)りたいという気持ちが出て来ない方がおかしい。おかしくはないが,そこまでの自信家はあまり多くは見かけない(先週の「カンブリア宮殿」に出ていたワタミの渡邉社長などはその例外の一人であろうが)。やはり何かに縋りたくなるものなのだ。

☆ テクニカルを否定する人達がいる。彼等から見れば,テクニカルという投資仕法は終わったものを追いかけているだけで,いわば「逃げ水の分析」に過ぎない。そんな中の一人はこのような川柳を後世に遺した。「罫線屋 線を引き引き 足を出し」。足を出すとは要するに損をすることで,評論家は相場に勝てないというのと同じ類のキョーレツな一撃である。

☆ しかし,そういう人達もまた勘違いをしている。相場が示す個々の銘柄の値段が本当に乱数表のような不規則性でその時点の評価価値の全てを実現しているとしたら,この川柳は有効なものとなる。が,投資には最も大事な要素がひとつある。それは投資主体=投資家=つまり「人」である。

☆ 行動経済学が有効な学問となる理由は,経済の主体である人間に焦点を当てた経済学。言い換えれば広義の社会科学である経済学と人文科学である心理学との学際にある学問であるからだ。この時,テクニカルを用いる意味が決定的に変わる。テクニカルに現れるのは,単純な株価という数値のふれではなく,その数値を生み出した投資家という人間達の心理の揺らぎであるからだ。

☆ さて,そのような投資家が相場に向き合う時,自分以外に頼れるものがないとすれば,果たしてどのような行動に出るだろう。ひとつは今話した。過去や現在の心理を分析することで,この後の相場参加者の心理がどのように変化していくのかをテクニカルで捉えようとする。もうひとつは,投資対象に対して徹底的に客観的なアプローチで迫るファンダメンタルであり,残ったものが理性外の何かに身を委ねることだ。つまり占いである。

☆ 占いが全く無意味かというとそれも正確には違うと思う。占いの中にはリズムや波動を重視するものがあり,これは人間の本性に合っていると思うからだ。人間は母親の羊水の中で育ち,自らの体内も8割近くが水である。水の持つリズムは,人間の波動の中に刻み込まれており,占いの中にはそういうものを理解した上で分析しようとするものがあるからである。

☆ しかし,そのこととめざましテレビのカウントダウン占いのようなものは本質的に異なる。占いは実際は極めて個的なものであり,一般化・普遍化するに伴いその有効性(魔力かもしれない)は失われていく。祈祷師がテレビの画面で何かやっていて霊験あらたかに感じる人はさほど多くはないだろう。そうであれば,テレビラジオ新聞ネットの占いは,単に今日一日の標語を示しているだけに過ぎない。そんなものでこれから相場に向かう自分を鼓舞したり,あるいは失望させたりされて良い訳がない。

☆ だから,私はテレビに代表される「日替わり占いコーナー」が大嫌いなのである。

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2006年5月27日 (土)

Pre-Open

☆ ウエブログも色々あって,競争も激しいけれど,なかなか書きたいものがみつからない。今まで使っていたウエブログの品質が急激に低下しているため,またぞろ引越しを考えなければならず,ココログにやって来た次第。

☆ 問題はコンテンツをどうやって移植するかということと,ココログ自体がどの程度のクオリティであるかによる(この場合クオリティとは,ど素人書き手にとっての使い勝手の良し悪しから,ウエブログ管理者の管理能力,発信機能など己の無知蒙昧を棚に上げての我が侭放題にいかにそのウエブログが耐えうるかということでもある(爆笑)。

☆ とりあえず引越しの下見に来ました(再爆)。

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