2007年6月 4日 (月)

材料不足

☆ 弱気にも強気にもなるべき材料がない。ニュートラルというより,どっちつかずと言った方が良いのか?国内株式市場の需給については幾つかの議論があるが,信託銀行の売り物がいつまで続くのかという点を注視すべきなのだろう。どちらかといえば高値安定している優良株には,絶対的な安値で拾った何とか機構は「いつ売りを出しても利益が確定できる」状況にある。しかし人間の心理は微妙なもので,「いつでも売れる」と思っていても,「いま売らなければ下がってしまう」という感情と「いや,まだまだ上がるに違いない」という感情がせめぎ合っている。こういう時,自分の資金ではなく預かっている資金の場合は,忠実義務があるから「妙な色気を出さずに売っておく」ということになる。

☆ むろん,売った後に株価が下がれば,株式に投入できる資金枠の水位が下がってくることになるから,下げれば買い手として出てくる向きもあるだろう(郵政資金など)。が,こっちの何とか取得機構は,損さえ出さなければスムーズに売ることがこの時点での役目であるから,売ってしまえば「ハイそれまでよ」ということになる。新たな売り手にはならないが,買い手にはなってくれないことになる。ここが悩ましくもあるのだが。。。

☆ 買い乗せするような雰囲気もなく,売るには早過ぎるような強気の虫が騒ぐ。どちらにつけても見送るしかないのが,ここのところの市場に対する正直な感想だ。

| | コメント (0)

2007年6月 1日 (金)

バブルとその崩壊の論理について = JPMorgan 北野レポートを読み解く

☆ JPMorganの北野氏が面白い指摘をしている。少々異論があるので,北野氏の論旨を紹介しながら検討する。

☆ 北野氏が注目したのは時価総額と名目GDPの推移で,これを1980年代後半の日本(Topix),1990年代後半の米国(S&P500)のそれぞれで見ると,時価総額対GDP比率が1.4に接近したところで破裂しているという。一方,現在の中国(上海,新センそれぞれのA,B株)は0.8であり,当時の日米水準に達していない。更に言うと,これら市場に対する海外からの流入資金は小規模に過ぎない。

☆ 次に北野氏はFRBグリーンスパン「前」議長の発言にも注目する。グリーンスパンがFRB議長時代「根拠なき熱狂なのかどうか。。。」と発言したのは,1996年12月。当時,米国の時価総額対名目GDP比は,現在の中国の値に近い0.7であり,この発言からITバブル崩落までは更に4年がかかっている。ゆえに北野氏は「最終的にはグリーンスパンは正しいのだと思うが,予測誤差は数年単位に及ぶことがある」と指摘している。

☆ 有名なエピソードだが,米国で大恐慌を前にして「株式市場の崩落」を予告し続けた人がいる。その数30数回。それだけ「当たらなくても言い続ければいつか当たる」。似たような話に某資産家は街角で靴を磨いて貰った時に靴磨きの青年から「株式投資はしていないのか」と尋ねられ,その直後に持ち株を全部売ったというのがあるが,当時の米国の資産支配状況を考えるとこの話は出来過ぎ君かインサイダーのどちらかであろう。もっとも,大恐慌の間際までジェシー・リバモアが空売りを重ねていたというのは事実であるらしいが。

☆ さて,北野氏はグリーンスパン発言「このままいくといずれ中国株は劇的な収縮に見舞われるだろう」をいったん引き取った上で,こう問いかける。「それによって適正なバリュエーションを維持しているほかの国の株式相場が連れ安しなければならない理由はない(のではないか?)」。ここで北野氏が例示するのは,日本株のバブル崩壊時の影響の低さだ。

☆ むしろ。。。と北野氏は指摘する。世界経済の体温計として考えた場合,2005年まで下げ続け,その後反転上昇している中国株よりも,2003年以降上昇トレンドを維持している米国金利の方が信頼できるのではないか。そして米国金利が上昇トレンドを維持している中での中国株の下落に対してはまだ冷静に対応できるように思われると締めくくっている。

☆ ここから北野氏の強気が覗えるのだが,確かにわれわれは歴史に学ぶ必要はある。大恐慌までの米国株はいったい何年間上がり続けたのだろうか。それは説得力がある主張だ。さらに円高不況の1987年春を底に上昇し続けたハイテク相場。その1年前から橘田天皇の号令の下,ウォーターフロントを駆け上がった野村の「大腕力相場」,あれに匹敵するのは,ソニー,ソフトバンク,光通信の大暴騰相場。別名「アナリストと掲示板の大相場」とでも言うべきITバブル相場であろう。これらの相場の特徴は,全員がイケイケになっただけではバブルは崩壊しないということである。何か予兆ときっかけがないとこうした相場は崩壊しない。

☆ 日本のバブル相場の最後は組織暴力団の首領まで巻き込んだ仕手相場だった。そこではモラルハザードの典型と人為的に歪まされた先物相場が織りなす壮大な「祭り」があった。片倉工業や松坂屋の株価を覚えているだろうか?若築建設株の崩壊が何の引き金を引いたのか,木戸"修羅場"次郎氏に尋ねてみるといい。

☆ アラン・グリーンスパンという人物は,根っからのエコノミストである。生涯一エコノミストとして,米国経済史に名を遺すであろう。しかし,エコノミストは常に間違う。それは人間の心理の綾までを分析することが出来ないからだ。中国であろうと日本であろうと米国であろうとブラジルやインドであろうと,相場とは還元すれば「人間が織りなすもの」であるから,その死命を握るのは個々のバラバラで自分勝手な人間達である。先物を知らずに現物株の仕手相場を続けた日本のバブル。財務諸表より掲示板が優先された米国のITバブル相場。夢と現実の区別もつかないアナリストレポートが振り回した日本のITバブル相場。それは残念ながら「歴史」ではなく「経験」の集積に他ならない。中国のバブル相場にいちばん不足しているものこそがこの「経験」である。経験はしてみないと分からない。つまり「バブルは弾けてみないと分からない」。いかに北野氏が賢察しようと,これだけは想像も及ばない。

☆ そして今年の秋は,中国・米国ともに政治の秋である。果たしてここでリアルな「桐一葉」が落ちることとなるのか,あたしには理解できない。ただ,壮大な収縮の後,何にベットすべきなのか,それだけが今の頭痛の種である。

| | コメント (1)

2007年5月 2日 (水)

投稿貴族「床明」の議を読む

☆ 日本経済新聞夕刊のマーケット総合2面のコラム「十字路」は基本的に記名投稿で,夕刊コラムに良くあるパターンだが,数人のコラムニストが交替で書いている。面白いのは朝刊の「大機小機」と異なり,発行会社,運用者,学識経験者など投稿子が自らの立場(肩書・氏名)を明らかにして投稿していることで,言うまでもなくそれらは各人の「個人的な見解」ではあるが,取り上げている問題はアップ・トゥ・デイトなものばかりである点は「大機小機」にも通ずる。

☆ ところでこんな世界にも例外というものはあるらしく,筆名(以下HNと呼ぶ)で文章を書ける「特権」をお持ちの方がいる。あたしはこれらHNを「投稿貴族」と呼んでいるのだが,2007年5月1日の「十字路」はそうした「投稿貴族」のひとりHN「床明」がなかなか興味深いことを書いていた。

☆ 少し前にチョッとだけ関係することについて触れたが,経済財政諮問委員会議に「金融・資本市場ワーキンググループ(以下WGと呼ぶ)」という下部組織があり,斯界の権威早大上村達男教授が「主査」(←カコイイネ^^;)となり,内容を取りまとめている(これは床明に言われなくても知っている)。

☆ 床明も指摘しているが,このWGの目的は東京金融市場の競争力向上策,有り体に言えばシンガポール・香港(いずれ上海)との競争に耐えうる金融市場を東京に作っていくためにはどんなことが必要かという戦略を練っているところというイメージだ。

☆ 床明が指摘しているようにWGはひとつの大きな「金融商品取引所」持ち株会社を設立し,その下に目的別(証券・商品等)の取引所を事業会社としてぶら下げるという構想である。おそらくWGの趣旨は金融商品取引法と会社法の精神に則り,合理的・一元的(つまり世界に向けて競争力があり,また世界の資金を受け入れやすい)取引所の形態を模索することにあるのだろう。

☆ ところで,この「十字路」を読んでいると,床明は証券取引所の現状にはやけに詳しい割に,商品取引所については冷淡なことがわかる。地方証取といっても名古屋と他二つを同列に扱うのは伊勢町の人達も承知しないだろう。しかし,いちばん問題がありそうなのもセントレックスを抱えた伊勢町だということを考えれば,同列に扱われても仕方がないかもしれない。ジャスダックの場口銭(ばこうせん)については,考えたこともなかったので,この指摘は参考になったが。。。

☆ 地方証取だけでなく新興市場全体に言えるのだが,規制緩和のために行ったことが「規律の緩み」を招いているのではないかという問題意識がある。これは床明のみならず,あたしの駄文を読む人にはお馴染みの盤側だの渾沌だのといった反動主義者達にも共通の問題意識である(あんな連中と同じ問題意識なのが情けないが,事実だからしょうがない^^;)。規律緩和の挙げ句が「なんちゃってIPOマーケット」と「会社ごっこ」の「魅惑のサイクル」なわけで,あたしから見ても明日上場廃止にしてええわという企業の数は20を下らない。こんな情けないことが起きたのは規制緩和の前に規律を定めておかなかったこの国の市場関係者(先ほどの反動主義者達を代表とする「証券論壇」も含む)のどうしようもない脇の甘さにあるのではないかと痛切に感じる。

☆ ところでこのコラムの中で,床明は「一つの取引所」への統合に疑問を呈している。競争がなくなれば組織運営は官僚的になり,事なかれ主義の集団になりかねない。けだし,その通り。だから上場企業は株主の牽制を受けるべきで,これを外部統制とするなら,内部統制によって組織のステークホルダーを守りながらも緊張感を持った経営ができるのである。彼等が指摘している事柄は,実に彼等が大嫌いな「株主至上主義」に良く似ているのは皮肉な話だ。

☆ あたしも床明の言わんとするところは理解できる。一極集中では弊害も多い。しかし,複数の証券取引所を残すのが正解なのか,ひとつの持ち株会社の中で複数の事業会社が利益相反を承知の上で競合すべきなのか,それとも規制機関のみを統合して,各取引所の自由競争に任せるべきなのか,なかなか正解には至らない。多様な考え方を認め合うという意味で複数の取引所の併存にはあたしも賛成である。しかし,それは取引所の運営や参加者に対する内部統制も含めた規律が維持されてこそ意味があることで,物理的に複数有ればいいというような類の話ではないのではないかとも感じている。

| | コメント (0)

2007年4月19日 (木)

ウチ目均考(29)~モデレートな不安

☆ IT(情報工学)革命とは何だったのだろうかと,改めて考えている。おぼろげながら思いつくことは,力の構造が変わってきたということだ。ここで言う「力」とは,権力とかそういった「社会的な力」の有りようと考えて良い。権力の根源は,何かしらの強制力の行使にあるのだが,バカなあたしなりに人類の歴史を振り返って感じるのは,権力は基本的に集中する性質を持っているということだ。これは動物の「なわばり」のような有限のもので,権力とは,その「なわばり」の中で強制力を行使できることやその「正当性」を指している。

☆ 次に権力を担保する要素を考えてみると,ひとつは正統性,これは王権や中国の「易姓革命」を考えてみると理解できる。次は権威。これはアニミズム以降の全段階において,宗教とその聖職者が自明のものとして獲得してきたものだ。だから非宗教的(世俗)の環境で,これに似たような権力の行使(多くの場合「権力闘争」となる)が行われると「伏魔殿」などと書かれて攻撃の対象となる。権威主義はあらゆる怠惰の原因であり,モラル・ハザードの起点にある。なぜならユーリッヒ・フロムが指摘したように,権威(主義)は,その客体から自立(自律)を奪い,帰属(帰依)によって「支配」する方策であるからだ。

☆ このような権力の性格は,最初に述べた強制力の担保と権威主義に代表される「情報の独占(寡占)」を,その基盤とする。ITが破壊するものは専ら後者であるが,それを逆手に取れば,権力・権威を強化する手段(ツール)としてITほど有効に働くものはない。このことは中国におけるグーグルの活動(より正確には「グーグルにおける中国政府の活動」)を見れば明快であろう。

☆ ITの特性を考える。基本的には処理速度の向上であり,WWWに代表される情報のフラット化ということにある。言い換えるとこれは「力」が「速度」と出会ったことになる。世界のある場所で起こった事柄が伝達する速度が増せば,その影響は広くなる一方,「効率的市場仮説」でいうように,その影響は薄まる可能性がある。つまり「どこのどいつがしでかしたことか分からない」ことが世界中に影響を与えるおそれと,それがその情報の拡散の速さに反比例して,影響力を失うこととの両立である。各国市場における「モデレート」という状態の本質は,たぶんこのあたりにあるのだろう。

☆ 最近の日経で興味深いのは,こうしたヴァーチャルな世界と現実世界との関わりに焦点を当てた特集を組んでいることだ。今朝見た日経の記事「ネットと文明 第10部 主従逆転4」(日本経済新聞 第43557号 2007年4月18日 第1面)でもそういうことを指摘していた。特に興味を引いたのは,ヴァーチャル・リアルティ(仮想現実)が現実を決定するという指摘だ。勿論記事にそのようなことは書いていない。しかしここ数日ネット口コミで消費行動が決まるとか,(パソコンの拡大された画面に比較して)北斎の版画が小さかったといった実例を通して言えることは,存外そんなことではないのかと感じる。

☆ 仮想のものは現実を補助する。(実例が最近他国で発生しているが)時として妄想を助長する。これが仮想現実の最大の副作用である。神は細部に宿るはずなのに,粒子の向こう側を「神」だと思い込む事が起こっている。こうして人間はようやっと獲得したはずの「自律(=自立)」を放棄し,画面に表示された権威に易々と帰属してしまう。そこにあるのは芥川龍之介が「漠然タル不安」と言ったものの先を行く「生温い(モデレート)不安」である。

☆ まったく関係ない記事同士だが,そういう目をもって同じ日の「大機小機」を読むと興味深い(同紙 第17(マーケット総合2)面)。「未知なる危機への不安」と題された「逗子」という署名者の指摘は,偶然にもこのようなヴァーチャル・リアリティがITによってマーケット自体を覆い尽くし,その「膜」によって緩和されたモデレートなヴォラティリティが,より一層の心理的な不安を引き寄せていることについて指摘している。

☆ 確かにIT革命により「力」は「速度」を得た。また仮想現実はシミュレーションとして現実を受け止める時の緩衝器となっている(前回指摘した)。だが,速度を持つ力は「加速度」を持ちはしないか?今,無邪気に上昇する上海総合指数を見ながら,そして自国通貨安(対円・対人民元を除く)の中で達成するダウ工業株30種の新値の記事は,モデレートな仮想空間の中で「現実への想像力」を自ら放棄する過程を指し示してはないだろうか?

☆ 堺屋太一がかつて書いたように,これはいつか「破断界」を迎えるのではないかと思う。ITはその試練に耐え,より強度を増していくだろうが,そのITを創り出し,無邪気に使用し,怠惰に享受している「生身の人間」達が,そのとき,実際のものとして襲ってくる試練に耐えられるのかどうかは,極めて心許ないとしか言いようがないように思う。

| | コメント (1)

2007年4月 7日 (土)

楽天市場のビジネスモデルの限界について

☆ 楽天市場のビジネスモデルに限界が見えてきた。かつて集客のツールだった楽天ポイントが逆にユーザーの不満の原因になりつつある。それはポイントと個別ショップの育成との混同に遠因があるが,基本的には拡大成長を続けてきた楽天市場のビジネスモデルに量的な限界が見えてきたからという感じがしないでもない。

☆ かつて楽天市場は,ユーザーの望む商品をよりやすく提供する場所であり,リアルショップであれば限界があった出店者に商圏の拡大を約束した理想的なモデルであった。仮想商店街というコンセプトは確かにネット先進国からの輸入であったかもしれないが,コンビニエンス・ストアがそうであったように,小うるさい日本の消費者を捉える仕組みとして独自の成長を見た。Web2.0以降,楽天は旧来のウエブビジネスモデルに分類されるが,強いて言えばウエブビジネスモデルの先頭を切って成功したのが楽天であるとも解釈できる。

☆ そこでは,誤発注を含めた瑕疵担保責任を少なくとも最初の段階では出店者と購入客の双方が分かち合うシステムになっていた。例えば初期の楽天ブックスでは,購入の意思表示の返信メールに,キャンセルについての決まりが書かれており,万が一誤発注をした場合でも注文が確定するまでの間(だいたい6時間程度ではなかっただろうか?)のキャンセルは有効とされていた。こうして購入者は発注確認時に再度自分の注文を確認し,出店者は誤発注によるトラブルを回避する手段を同時に得ることとなった。これは,同時履行の原則からは甘いことかもしれないが,逆に言えばクーリング・オフの機会を与えるという点で非常に優れた仕組みでもあった。

☆ しかし,そのような「牧歌的」な時代は,楽天の膨張と共に過去のものと成り果てたようだ。今では楽天が送ってくるスパム的な案内メールをうっかりクリックしようものなら,翌日からはそのメールをよく読んでなければ気付きもしないような小さな文字で(さすがに色は変えてそれなりに「強調」はしているのだが)書かれた無数のショップからの文字通り「売り込みメール」が大量に流されることになる。楽天側にも一応は考えがあるようで,登録ショップの一覧表なる画面にアクセスして,解除すればこれらの「売り込みメール」を回避することはできる。そんな面倒臭いことが嫌であれば,そもそも「楽天スーパーポイント」なるものを使わなければ良い。つまり楽天にとってポイントとは「使ってもらえなくても構わない販促ツール」のようなものになってしまったようだ。

☆ これは残念なことのように思える。それはまるで,金を使わせるために怪しげなサクラが気をそそるようなメールをたっぷり仕込んでくるどこぞの「出逢い系サイトビジネスモデル」とそっくりだ。いつから楽天はこんな凡庸な仮想商店街に堕してしまったのか。東京放送なんか手に入れても,最近の同局の体たらくを見る限り,カネを溝(どぶ)に捨てるようなものにしか思えないのだが,そんなに三木谷は「力と栄光」が欲しいのだろうか?

☆ もうひとつ。あたしが見聞きした中で最低な話を紹介する。楽天はかつてフリーマーケットと称してオークションをやっていたが,ヤフー!やモバオクに刺激されたのか,自分の所も「オークション」を名乗るようになった(こんな話は楽天ではゴロゴロしていて,かつて「楽天日記」だったものが「楽天ブログ」に名前が変わっている。よほど「世の中で流行っている名前にあわせる」のが好きな会社と思える)。その「楽天オークション」には入札しただけで「楽天スーパーポイント」が貰えるという有難いオークションがある。良く考えれば分かるが,入札をすれば入札者が楽天に登録した内容は出品者(個人ではなく,あくまで「楽天市場」に出店しているショップ」である)に届くことになる(個人情報の全部ではないだろうが)。

☆ その話では,1円オークションに入札して数週間後に突然「出品者(=楽天のショップ)」から「商品発送のお知らせ」が届いたというのである。「落札者」は慌てて「該当のオークションのページ」を開くと確かに自分の入札記録が載っている。入札したのは事実だが,落札の通知も何もなかったという。不審に思った「落札者」は楽天市場に問い合わせをしたが,しばらくしてから落札者の一覧にあると木で鼻を括ったような返事が届いたという。その頃「出品者」から代引きで送られた「落札商品」は何も知らない「落札者の家族」によって引き取られていたとか。。。

☆ この話を聞いて,あたしは楽天市場の利用は止めた方が良さそうだと思った。どうも個人情報がしっかり管理されていないように思えたからだ。あたしは別に楽天や楽天市場を貶めるつもりはない。ただ,個人的にはこの電子商取引の利用は「強く推奨しない」と思っただけのことだ。

| | コメント (0)

2007年4月 3日 (火)

ウチ目均考(28)~買収ファンドについて

日本経済新聞第43541号(2007年4月3日=火=)第17(投資財務2)面

 「一目均衡」=買収ファンドの社会的意義 (編集委員 小平龍四郎)


☆ 一読して「公正な議論」だと思う。あたしはある種のファンドは解体屋だと書いたが,ドイツ人にも同じ考え方をする人達がいるようで非常に心強く思う(笑)。ここでの問題は先日まで放送していた「ハゲタカ」のように,会社におけるステークホルダー間の利害対立がベースになっている。

☆ あらゆるファンドは,その性格上パフォーマンスを上げることを求められており,ファンドへの投資者がそれをどの程度のスパンで達成することを求めているかでそのファンドの性格が決まる。ただ多くの場合,ファンドマネージャーは株価指数をベンチマークとしてそれに対する相対リターンをコミットメントし,その上でファンド自身の絶対リターンを追求することになる。

☆ これに対し会社そのものへの出資者は,こうした短期リターンではなく,Going Concern(会社自身の継続性)により長期的なリターンを積み上げることで,長期に亘る安定的な投資成果を得ることを期待する。そのような出資者が株主の立場で経営者に期待することは,継続的かつ発展的な成長であり,その成長の果実である配当や時価総額の向上だ。

☆ 時価総額で企業価値を測ろうとする考え方は,ITバブルやライブドア問題で否定された訳ではなく,三角合併をキー・ワードとする買収時代に入り,ますます重要になっている。買収ファンドでもその成果を定量的に測定するという意味で時価総額の持つ意味は大きくなっているだろう。


=以下続く=

| | コメント (0)

2007年2月 2日 (金)

ウチ目均考(27)~同じように書いて比較してみよう

☆ 不二家の製品から会社が自主的に決めた基準を守らない商品管理が明らかになった問題と日興コーディアル証券がSPCを使って利益操作をした問題とを比較してみる。ついでだからライブドアが東京証券取引所の時間外取引でニッポン放送株式を大量取得した事例とも比較してみる。


(不二家)

① 消費期限切れの牛乳を原料としたシュークリーム約2000個を製造し、関東、福島、新潟、静岡の1都9県に出荷した事実を把握しながら回収や公表の措置を取らず隠ぺいしていた。
② アップルパイなどに使うりんごの加工品の賞味期限切れを4回使用していた。
③ 細菌検査で出荷基準に満たない「シューロール」と呼ばれる洋菓子を出荷していた。
④ 菓子箱に虫が混入するトラブルが2005年発生し、同社が原因を調査した上で購入者に謝罪していた。

(日興コーディアルグループ)

① 日興プリンシパルインベストメンツ(NPI)のベルシステム24株式の買収スキームの中で,特別目的会社(SPC)として設立したNPIHを連結の範囲に含めなかった。
② NPIHに自社株転換条項付債券(EB債)を発行させた。
③ EB債の発行日を遅らせた(ベルシステム24株式の株価下落リスクを避けるため)。
④ NPIHにベルシステム24株式のTOB(株式公開買付)をさせた。
⑤ NPIにはEB債の評価益(約147億円)が発生し,同額の評価損がNPIHに発生するのに,NPIHが非連結であるため,日興コーディアルグループは,NPIのEB債浄化益のみを計上した。

(ライブドア) ※事実関係ではなく,考察。

① 当時の法整備・市場運用ルールに不備があった。ライブドアが行った大量取得行為自体は,当時の制度上,何の違法性もない。
② 企業倫理面から「望ましくない行為」であるという批判を受けた。
③ 一部の有力商法(会社法)学者からは,市場ルールを骨抜きにする実質的な脱法行為であるという厳しい批判を浴びた。


☆ ライブドア裁判の最終弁論で弁護側は「帝人事件(戦前の有名な疑獄事件だが,検察のでっち上げである)」に比較して,検察のロジックは「蜃気楼である」という激しい批判を行った。昨年1月当初,東京高検が作りあげたストーリーは妥当性のあるものだとあたしは思っているが,その後の公判までの推移,公判時の展開を見る限り,弁護側の主張にも相応の説得力があると思う。


☆ 法規範は社会規範の一部であり,社会規範(倫理など)で非難し得たとしても,法規範は法規範の解釈を持つべきである。検察の論理は「蜃気楼」かもしれないが,ライブドアが象徴する一部の新興企業に共通するものは「逃げ水の成長」ではないか。それはまるで無限連鎖講にも似ている光景だ。これを法規範として断罪して良いのかと問われると微妙な感じがするが,社会規範としては「行うべきではないこととやっても構わないこと」との間に引いた一線を超え,逸脱した行為だったのではないか。


☆ 不二家の場合は,それが人の口に入るものだという特殊性もある。食べ物の管理について,通常の「物の管理」に比べ,より厳格な管理を求めるのは,法規や行政指導によってではなく,社会の要請である。だから,不二家は風評リスクに晒され,同じように風評リスクを好まない大規模小売業の店頭から直接関係ないと思われる商品(非生菓子である洋菓子類)が撤去された。


☆ 日興コーディアルグループの場合はどうなのか?証券会社は市場の構成員であり,市場規律の維持という点で一般の発行会社よりも厳格なルールに則るべきであろう。そうでなければ,我々の国では市場秩序を保つことが出来なくなってしまう。それがどういう事態であるか理解できるのであれば,会計上のテクニックについてはより厳格な適用を求められなければならない。厚生労働大臣の失言がそうであるように,世の中には「取り返しのつかないこと」というものがある。取り返すことができない以上,いったん市場から退場し,改めてその存在意義を世に問い,世の中から受け入れられるまでの間は,少なくとも市場への上場は認められないのではないだろうか?


☆ これは一度失敗したら永遠に復活できないという意味ではない。再チャレンジそのものである。

| | コメント (0)

2007年1月25日 (木)

ウチ目均考(26)~株式持ち合いは好ましくない

☆ 事業法人の株式持ち合いは,好ましいことだと言えるのか?


・ 外資ということを意識した時代は,戦後3,4回ある。最初は財閥解体。でもこれは個人株主作りだけで終わった。次は1970年頃の資本自由化。この時は,例えば三菱自動車(当時)がクライスラーの資本を受け入れたり,日産自動車がプリンス自動車を吸収合併した。この辺りは産業政策を主管する当時の通商産業省の影響が大きかった。その次はバブル直前の時期。きっかけは急激な円高であり,財テクという言葉が人口に膾炙し,企業はこぞってユーロドル債を発行した。その頃から銀行・生保と事業会社との間の株式持ち合いが密かに進んでいった。


・ この現象が何を生んだか,そのうち上映される映画を見るまでもなく分かるだろう。90年代後半のデフレスパイラルにモラルハザードの元凶を見るというのは偏った見方だとあたしは思っている。その路線を敷いたのは80年代であり,性懲りもなくそれから10年間ほど居座った連中こそがハザードである。リストラや貸し渋りは結果としての事象であり,それを助長したのは,都合の良い時だけ正義の味方面をするマスコミとそれに抗することも信念を通すこともなかった政治家である。


・ 何が言いたいか。原因は何であれ(資本自由化が三角合併の解禁に変わろうが),資本主義社会において資本を効率的に運用しないことは悪だと言える。それは都合の良い時だけ株主面する連中の言うことを聞けという意味ではない。資本政策を含めた企業の全体像がCSRに依拠することを理解しない経営者はそれを理解しているものと交替すべきだという正論を言っている過ぎないのだ。

| | コメント (0)

2007年1月18日 (木)

喉に小骨が刺さったままで

☆ 喉に小骨が刺さったままで本当にこのまま株式市場が上昇できるなどと,よもや極楽とんぼなことは考えていないだろう。今週初めに市場は25ベーシスの利上げを織り込みに行った筈だ。ところが空気の読める財務大臣が余計なことを言ったのが報道されたあたりから,風向きが一気に変わってしまった。火曜日は米国市場待ちにかこつけて総見送りとなり,水曜の朝は新聞テレビが「利上げ見送り」の大合唱を夏の朝の熊蝉みたいにやっていた。これでお終い。昨日の朝,冷たい雨の中をそそくさと車に乗り込む「白コアラ(=福井日銀総裁)」が不機嫌に見えたのはあたし一人じゃあるまい。

☆ 日銀はよく間違う。また日銀が間違うことによって,政治家は圧力を掛けやすくなる。今回の「上げ潮オヤジ」もそうだが,こういう露骨な姿勢はお公家様集団日銀を十二分にいじけさせてきた。確かに先月と今月でどこが違うんだと言われればそこまでである。では白コアラが日頃口にする「Foward-Looking」とはどういう事なのか?何をもって先見性をもった金融政策とするのか,あたしには皆目分からない。

☆ これで当面の利上げはなくなるだろう。来月になれば今月よりも指標は弱くなるだろう。それは生産や投資についてではなく,消費や街角景気についてである。こうしてダラダラと0.25%の誘導金利は選挙まで続く。もう既に4月の統一地方選挙は始まっているのだから。

◎ ソフト・コモデティ(穀類),外国為替(円を中心とするクロスレート),低位株(テクノロジー,建設など昨年放置されていたもの,悪材料を織り込みに行っているもの)。されど「リバウンドはリバウンド」。放り上げれば,時間をかけて落ちてくる。

| | コメント (0)

2007年1月 5日 (金)

証券税制についての論点と提言

☆ 証券税制についての論点をまとめる。

(1)株式市場の参加者の多くが退職者,主婦などの「無業者」であり,家計所得水準も700万未満が3分の2を遥かに超える。株式市場の参加者の大多数は「優遇されるような金持ち」どころか,将来の不安に備え,自分の力で積極的に資産形成を進めている人々である。この「チャレンジ」を支援することは,厳しい将来に対する国民の個人・家計レベルでの自律的な備えへの支援になっても,格差形成やその「是正」などとは「何の関係もない」ことは明白だ。

(2)株主は,企業が法人税などを納めた後に「剰余金」を配当として得ている。本来であれば配当金を個人所得として課税することは二重課税だ。二重課税の結果である配当税制と課税前の状態である利子税制とは異なって当然。利子に対する税率の方が,配当や譲渡所得に対するそれよりも高いのは課税過程を考えても当然のことだ。

(3)金利は,個人(法人)の銀行に対する債権の利子であり,譲渡益とは異なる性格のものである。譲渡益に対する税制と利子に対する税制を「金融所得」として一括課税するというのは,自家用車を購入した際の消費税と自動車取得税,自動車重量税などを一括して(同じ税率で)課税するというのと同じくらい不合理だ(もちろん自動車の場合,全ての税率が消費税率と同じになるなら,誰も反対しないだろうが)。

(4)例えば2年後から税率が2倍になるのなら,2年以内に誰もが株を売ってしまうだろう。長期保有した株式の税率が短期保有のそれよりも重いのは税の基本原則に反する(不動産の譲渡課税を考えれば明白)。

(5)本則税率を20%のままにするのであれば,以下のような激変緩和措置を検討すべきである。

 (A)・・・ 保有期間による緩和措置
      1年未満の保有 20%
      1年以上の保有 10%
      5年以上の保有  5%

 (B)・・・ 段階的課税率
      譲渡益の合計額が1,000万円以下  10%
      1,000万円超5,000万円の部分     15%
      5,000万円超の部分              20%

    この場合,例えば譲渡益税8,000万円の人はこうなる。
    イ)1,000万円以下部分 (10%)   100万円
    ロ)5,000万円までの部分(15%)   600万円
       ∴4,000万円×15%=600万円
    ハ)8,000万円までの部分(20%)   600万円
       ∴3,000万円×20%=600万円      
         合計1,200万円

    すべてが20%だった場合=1,600万円
        (税軽減額400万円=利益の5%)

    おそらく殆どの人が,譲渡益の合計額1,000万円未満
      に収まるだろう。

 (C)・・・(A)・(B)のミックス
    1年未満の保有分はすべて(B)による。
    1年以上の保有分はすべて(A)による。
    長期投資(資産形成)を優遇する手段として提案する。

☆ 考え方のポイント

◇逓増税率・・・通常の税制は逓減税率であるが,この場合は「逆進性」が発生する(大して利益が上がっていない人ほど税負担が大きい)。基本的に譲渡益だけで1,000万円というのは非常に高いハードルであるから,それを超えた部分の税率が高くなったとしても,トータルでは本則税率一本の場合より有利となるから不公平感は減少する。

◇長期優遇・・・資産形成に対する税制からの支援を本旨と考えた場合,短期譲渡課税を本則税率として,長期優遇税制を導入することは効果的。金融ビッグ・バンにより手数料自由化(定額化)を進めた以上,売買回数による「みなし条項」の復活はあり得ない。短期的な投機は市場に厚みを与えるために重要であり,短期売買だけを一律的に本則税率をかけることは合理的ではない。よって,短期売買であっても譲渡益が一定のレンジに収まっていれば優遇税率を残す併用案を提案する。

| | コメント (0)

«ウチ目均考(25)~市場規律